私がアシスタントエンジニア時代を過ごしたのは超メジャースタジオ、
スタジオ業界では誰もが知っている老舗スタジオでした。
今思い返せば貴重な経験も沢山したなぁと思います。
ビッグバンド一発録り、大編成演歌、外国のエンジニアとの仕事、映画音楽、ミリオンヒットになった制作現場。
挙げていけばキリがないくらい当時の音楽業界の真ん中にいました。
■糸が切れた瞬間
25歳から27歳の時に色々ありまして、結局27歳でスタジオを辞める事になりました。
当時はProToolsが普及し始めた時期で、次第にスタジオでも編集作業が占める割合が多くなってきました。
私の糸が切れた瞬間 というか、本来やりたかった事と現状の 差 に気が付いたのはそんな編集作業のときでした。
深夜の作業中、トイレから戻ってきた私の目に映った光景は異様なものでした。
ディレクター、エンジニア、プロデューサー、スタジオにいる全員がパソコンの画面に集中しているのです。
当たり前といえば当たり前ですが
真剣に思ってしまったんです。
「こいつら 何をやってるんだろ・・・」
クリックの波形に合わせてドラムのタイミングを修正していく作業に何の意味があるのか・・・
私にはわからなくなってしまったのです。
音楽をつくる仕事をしたくてこの業界に入って来たはずが実際スタジオで行われているのは下手な演奏を何とか聴ける状態にする 波形編集作業。
この時から異常なストレスを感じるようになりました。
「自分は何をやってるんだ?」
「有名な人の仕事をする事が大事な事か?」
「自分がしたかった仕事はこんな事だったのか?」
常に自問自答をしていたと思います。
■決断
結局私はスタジオを辞める事を選択しました。
当時はそれほど仕事を抱えているわけでもなく、ただ辞めるというだけでしたので、フリーとは名ばかりの無職です。
とにかく今の環境を辞めて現状を変えたかったのだと思います。
■低迷期
スタジオを辞めた私はエンジニアの仕事は一切せずに、無職の時期を過ごします。
失業保険を受け取り、毎日昼に起きて酒を飲み、朝5時までグダグダ過ごし また昼に起きる。
そんな生活を半年ほど送りました。
顔色は青白く、目の下は大きな湿疹が出来て麻薬中毒患者のような顔になっていました。
貯金を食いつぶした結果、何でもいいから仕事をしなくては生活できない状態までいきました。
しかし当時はエンジニアの仕事もあまりなく、たまに来る仕事もProToolsを手足のように使えないと話にならないものばかり。
結局、バイトをすることにしました、仕事は 「ガードマン」 工事現場で赤い棒を振る仕事です。
日雇いだったのでエンジニアの仕事が急に入っても対応が出来きるため選んだのですが、
現実は予想以上にきつく、通行止の案内をするとトラックドライバーに空き缶を投げつけられ、馬鹿ヤロー!と罵声を浴びる事もありました。
とにかく嫌な顔をされる仕事が多く、人に感謝されない仕事はきつかったです。
結局1年間この仕事を続けました。
しかしこのガードマンをやってみてわかった事が沢山あります。
1、社会のピラミッド構造は各業界に存在する
2、人は自分より立場の弱い人間に偉そうな態度を取る
3、自分の知っている社会は世の中のほんの一部にすぎなかった
4、人に感謝される、必要とされる仕事をしたい
今思えば底辺とも言えるガードマン時代は貴重な経験だったと思います。
社会全体が何となく見えてきたのです。
幸いだったのは「音楽を仕事にしたい」という気持ちが私の中で消えずにいた事でした。
この頃から私の仕事に対して少し考えが変わってきたのです。
後半へ続く・・。
当サイト『レコーディング・エンジニア講座』に掲載されている記事、図形、写真、情報など無断転用はご遠慮ください。
著作権はサイト管理者またはその情報提供者に属します。
0 件のコメント :
コメントを投稿